池脇
肥塚先生には2019年にめまいのリハビリテーションというテーマで出演していただきました。今回は高齢者の平衡感覚についてです。
筋力は保たれているけれども、体のバランス、平衡感覚が保てないことがあります。どういうメカニズムで平衡感覚が保たれているのか、基本的なところをまず教えてください。
肥塚
平衡感覚といいますと、皆さんは三半規管を思い浮かべるのではないでしょうか。三半規管は頭部や体の回転を感じ取っているところです。もう一つは、地球には1Gの重力がありますから、自分の体を地面に対してまっすぐに保つわけですね。そのために重力の方向を常に感じ取っている器官があって、それを耳石器といいます。
体を地面に対してまっすぐに保つために何をしているかというと、足の筋肉をコントロールしているのです。右に倒れそうになると、右足に力を入れて戻す。だから、そもそも重力の変化を利用して自分の体を地面に対してまっすぐになるようにコントロールしています。
これが前庭脊髄反射という経路ですが、そこの経路には、実は三半規管の入力はあまり使われていないのです。というのは、体の傾きを感じ取るのは耳石器ですから、合目的にできているのです。
池脇
この質問のように、ズボンをはく、あるいは立ち上がるというときは必ず耳石器が、ちょっと体勢が変わったというのを感知します。本来であれば、それで筋肉に指令を出して体勢をリカバーしようとして、それによって平衡感覚が保たれますが、耳石器というのは加齢による変化はあるのでしょうか。
肥塚
耳石器の検査自体がなかなかいいものがなかったのですが、最近、前庭誘発筋電位という検査法が開発され、それで耳石器の機能をみることができるようになりました。
それを使った報告によりますと、なんと耳石器の機能は50歳くらいから落ちてくることがわかりました。
池脇
ちょっとそれは早すぎませんか。
肥塚
いえ、50歳くらいから落ちているのです。だから本当に、人ごとではなく、我々でも昔よりふらつくようになったと感じるので、明らかに耳石器の機能が落ちているということです。
池脇
これは病的というよりも、加齢現象なのでしょうか。
肥塚
加齢現象です。
池脇
一方で、三半規管にも加齢現象はあるのでしょうか。
肥塚
三半規管は、不思議なことに加齢変化をほとんど受けないのです。ですから、80歳くらいになると少しずつ機能が落ちていくものの、それまでは若い方とほとんど遜色はありません。
ただ、体の姿勢の制御には三半規管の入力はあまり使われていませんので、やはり耳石器の加齢変化が起こると、質問のようにふらつきが出てきても当たり前ということになります。
池脇
しかも、50代くらいから始まる耳石器の加齢変化というのは、基本的にはもう戻すことができないですよね。
肥塚
そうですね。その中の有毛細胞など感覚器自体の劣化も始まりますので、元に戻すのは難しいです。
池脇
もちろんそれで70代、80代になって、そのようにふらつくかどうかは個人差があるにしても、その背景としたら、もう誰がそうなってもおかしくないのですね。
肥塚
はい。特に人は二本足で立っていて、重心の位置が高いですから、そういう意味ではダメージを受けやすいかもしれません。
池脇
転倒、骨折して場合によっては寝たきりになってしまうということを考えると、何らかの対処は必要ですが、どのようにしたらよいのでしょうか。
肥塚
平衡感覚というと、三半規管や耳石器だけではなくて、目からの視覚入力、それから体性感覚・深部知覚を積極的に使っています(図)。ですから、耳石器からの入力が下がっても、目からの入力や体性感覚・深部知覚からの入力をうまく利用して、平衡感覚をある程度改善することができます。
池脇
いわゆる平衡感覚を保つ三要素の耳石器以外のところで何とかバックアップしようということですか。
肥塚
はい。もちろん視覚も落ちますし、体性感覚も落ちますが、ただ耳石器単独ではなくて、3本の矢が折れにくい、ではありませんが、いろいろなものを利用して体の揺れを改善しようとすることが動物にはできます。
具体的には、小脳や延髄にある前庭神経核などの辺りの機能を少しでも良くなるようにすることはできます。
池脇
今、先生のお話に納得をしましたが、では具体的にどういうことをやったらいいのでしょうか。
肥塚
いろいろなやり方がありましたが、最近、私が属している日本めまい平衡医学会で、前庭リハビリテーションのガイドラインを作りました。その中に、耳石器からの入力に問題があった場合にそれを改善するような具体的なリハビリ法を提示して、それを実践していただくようにプロモートしているところです。
具体的には非常に簡単で、両足をそろえて立って、体を前後に振る。左右に振る。こういうことを繰り返すと、重力の方向が変わって、景色も変わります。あと、右足と左足の裏に入る力も変わりますから、そういうことを何回もやって、だんだんと揺れが少なくなるようなことをやっていくと改善することが期待できます。
池脇
平衡感覚が障害されて、ふらつくとか転倒するという場面をあえて自分で作り出し、耳石器の感覚と筋肉のリカバリーを体に覚えこませようという理解でよいでしょうか。
肥塚
新しい環境にうまく適応できるように刺激をして、脳内のプログラムを書き換えさせるということです。
池脇
耳石器だけではないかもしれませんが、前庭に対する刺激というのはけっこういろいろな種類があるのでしょうか。
肥塚
足の裏からの入力は非常に大事なことがわかっています。例えば糖尿病の方で深部知覚障害が起こると、それだけでもふらつく。我々がそれを経験しようと思うと、例えばベッドの上を歩くと不安定ですよね。そういう状況になっている方に、そういう状況をあえて負荷して、どんどんと訓練をしていく。
もっと簡単には両足で立っているだけでもいいですし、タンデムといって、右と左の足を交互に、前後に並べる。あるいは片足で立つ。それからもっと積極的には、ソファーとか座布団の上に立つとか、いろいろなことをやっていただくようにしています。
池脇
そこがうまくできなかったときに、本当に倒れてしまったりするリスクを伴うリハビリテーションですが、これは患者さんお一人でやってもらうのが基本なのでしょうか。それとも理学療法士(PT)を含めた付き添いの方が指導するのでしょうか。
肥塚
特に高齢者の方は、転倒するとたいへんなことになりますから、我々の学会のほうでも、できればPTの方に介入していただいてやったほうがいいとしています。また、エビデンスとして、家庭に持ち帰ってやっていただくよりも、PTが介入したほうがアドヒアランスが高いということはわかっていますので、そのほうが賢明だと思います。
ただ、このガイドラインができたのが2024年で、まだなかなか広まっていないのが事実なので、これから広げていこうと思っています。
池脇
そういったガイドラインも医師が中心になってつくられていますが、例えばPTが介入することによって、より効果があるかどうかの検証もされているのでしょうか。
肥塚
そこはクリニカルクエスチョンの中に入れてあります。そういうこともエビデンス的にはわかっています。
池脇
やることは、そう複雑ではないにしても、きちんと専門の方が指導しながら継続していく。それが平衡感覚を維持するのに非常に重要ということなのでしょうか。
肥塚
そういうことです。あと、少し蛇足かもしれないですが、日常生活のふらつきはどうするのかと聞かれることがあります。これには、実に簡単な方法ですが、杖を使うとよいですね。いわゆるT字型の杖を使うと、三角点になって安定するというのではなくて、手のひらに地面の感覚が入るだけで揺れがものすごく減ることがわかっています。ですから、少しふらつく方は杖を使ったほうが絶対安全だし、杖を使っていると周りの方も気をつけてくれるので、一石二鳥ということを患者さんに言っています。
池脇
今回の質問では、患者さんには筋力の低下はないそうです。筋力に問題がないとはいえ、先生方がリハビリテーションをするときに、できればもう少し筋力をつけたいというような方もいらっしゃいませんか。
肥塚
もちろんです。長年診ていますと、どう考えてもサルコペニアが問題だなという方もいらっしゃいますが、その方々は自覚がない場合が多いですね。もう全然立てない、歩けない方もいます。
だから私は専門ではないですが、少しスクワットをしなさいとか、椅子から立つときには体幹を前に倒さずそのまま立ちなさいとか、つま先立ちをしなさいなどと言っています。そういう方々にはもう少し自覚をしていただいて、筋力アップもやっていただくほうが相乗効果が出るのかなと思います。
池脇
平衡、プラス、筋力もある程度のものがあってこそ平衡感覚が保たれているとすると、無視できないファクターなのですね。先生方がこれからこれらを広めていくということになると、けっこうたいへんかもしれませんね。
肥塚
超高齢社会ですので、そういうことをやるのが我々の使命ではないかなと思います。
池脇
ありがとうございました。