ドクターサロン

山内

今回のご質問は一種の灯油中毒のような状況に関してです。やはり先生、こういった状況は、寒冷地や冬場には、まだよく見られるものなのでしょうか。

上條

実は、灯油はそんなに揮発性が高くありません。灯油の仲間は炭化水素といって、炭素と水素によってできている物質なのですが、小さいものだとメタン、プロパン、エタン、こういったものはもともとガスなのですが、灯油というのは、少なくともCは9~15くらい。分子量にすると150とか、それ以上とかなり重いものなので、揮発性はそれほど高くないのです。だから、中毒を起こすほど室内が高濃度になることは、まれではないかと思います。

ただ、匂いを感じていること自体は気化したものを吸っているということですから、それが強烈だったということであれば、それなりの濃度で気化した灯油が存在したということになると思います。

しかも、灯油は空気に比べてかなり重いです。空気の平均分子量は28.8で、灯油はいろいろな炭化水素の混合物ですが、一番小さいものの分子量でも144ぐらいだと思います。すると、かなり重いので下に溜まります。医師が訪れたときにはかなり強烈な匂いがしたというお話でしたが、そこに患者さんがお布団で寝ているとしたら、寝ている患者さんが曝露されている灯油というのは、はるかに高い濃度である可能性があります。

山内

わりに重いので、下のほうに溜まるということですね。一方で私たちがイメージする揮発性の有機溶剤などでの中毒ですが、あれはもっと軽い物質のことが多いのでしょうか。

上條

でも、例えばトルエンにしてもやはり空気よりは重いですね。有機溶剤は全体的には空気より重いです。ただ、灯油のほうが少しCの数が多いですから、もっと重い。やはり下に溜まるということでいいと思います。

山内

したがって、床に横たわっているようなポジションに気をつけたほうがいいのですね。

上條

そういうことです。

山内

そうしますと、中毒症状で来られる患者さんは、実際は意外に多くはないと考えてよいでしょうか。

上條

灯油の吸入というのは非常に珍しいと思います。先ほど言いましたように、同じ炭化水素でも分子量が少ないブタンのようなガスは多いです。あの気体を吸入すると多幸感といって過度な幸福感が起こります。それで乱用するようなケースがあります。

そうした人たちが量を誤って吸入すると、炭化水素は非常に脂溶性が高く速やかに脳に移行します。その濃度が高いと、それによって呼吸抑制、呼吸停止が起こることがあります。

心臓の筋肉、心筋のアドレナリンなどのカテコールアミンに対する感受性が高まって、心室頻拍や心室細動など、命に関わる不整脈が起こることもあります。だから、そういったもっと分子量の小さい炭化水素の吸入による中毒というのはかなり多いのですが、もともと揮発性が少なくて気化しづらいものの吸入による中毒というのは、比較的少ないと思います。

山内

一般論としては、こういった物質が呼吸で体に入っていったとして、どういったメカニズムで次第に体を障害していくのか。臓器としてはどういったものの障害が考えられているのでしょうか。

上條

先ほども言いましたように、炭化水素というのは脂溶性なので、肺から吸入される場合は肝臓を通らずに直接脳や臓器に分布するのですが、特に脳は非常に分布しやすいところですね。その次が心臓。脳や心臓に取り込まれて、毒性を発揮するところがあると思います。

山内

入り口の肺はいかがでしょうか。

上條

肺は吸入する程度ではそんなに問題はありませんが、例えば灯油を飲み込むと灯油自体は粘度(viscosity)が低く、表面張力も低くて揮発性があるので、飲み込むと肺に入りやすいです。ある程度、粘度のあるものは飲み込んだときには喉頭蓋が蓋をして気管に入ってこないのですが、粘度が低かったり表面張力が低かったり揮発性のあるものは、隙間から気管に入り込んで肺に入ってしまいます。

肺に入るとどういうことが起こるかというと、一つは肺胞の表面のサーファクタントという界面活性物質が、肺胞の表面張力を下げることによって膨らみを保っているんですが、そのサーファクタントを灯油が壊してしまう。さらに灯油自体に粘膜刺激症状があるので、肺の上皮細胞や肺胞細胞を障害してしまうのです。

その結果、重篤な化学性の肺炎やARDS(急性呼吸窮迫症候群)になってしまう。ですから我々は、どちらかというと、飲み込んだ際に生じる肺の障害に遭遇することが多くて、吸入による灯油の中毒というのは極めて珍しいことです。

山内

軽い物質では神経から脳に行ってしまうというお話でしたが、このケースの、ふらつき、めまいはどう説明すればよいでしょうか。

上條

そうですね。意図的に吸入されるような軽い物質が脳に入ると、軽症だと、めまいや吐き気、ふらつきが出てきます。重症になると、中枢神経を抑制するタイプがあるので、昏睡状態になったり、場合によっては呼吸が止まることがあります。

たぶん灯油の低い揮発性だとそんなに高濃度に曝露されないと思うので、重篤になるケースは少ないと思います。ただ、この患者さんのようなめまいやふらつきというのは十分ありうると思います。

山内

もし、ふらつきやめまいなど脳のほうへの作用が出たとしても、あまり後遺症は残らないものでしょうか。

上條

繰り返しの曝露や長時間の曝露で慢性的になってくると、例えば同じ炭化水素で、昔からシンナーに含まれているトルエンやキシレンによる中毒があります。あれも炭化水素ですが、繰り返し長期間吸っている場合、小脳をはじめとした脳の障害が慢性的に起こってくるので、灯油も長時間にわたってこういった吸入をすると、後遺症のようなものが生じる可能性は否定できないと思います。

山内

有効な検査方法はありますかという質問があります。どのような状態か知りたいということなのでしょうが、これは今のところないのでしょうか。

上條

そうですね。我々も灯油を飲み込んだ症例で、血液を分析して試みたことがあります。ガスクロマトグラフィー、マススペクトルメトリーという分析機器を使うのですが、それもヘッドスペース法という特殊な検査法でなければなかなか難しいです。

しかも炭化水素というのは脂溶性で、脳や臓器に分布して、あまり血液内に分布しないのです。この程度の重症度のケースだと、血液から検出することは難しいと思います。

あと、そういった分析機器を備えている医療機関は極めて少ないので、まず難しいと考えていただいたほうがいいと思います。

山内

この医師は訪問診療で気がつかれたようですが、家に行って気がついたという場合、応急処置としてどういったものが考えられるでしょうか。

上條

ガスの曝露の場合は、それを改善するために必要なのは、一つは換気です。一番良いのはその患者さんをそこから避難させて、新鮮な空気を吸わせることですが、それが困難であれば、まず換気をして、屋内の揮発した灯油の濃度を速やかに下げることが必要だと思います。

山内

それで自然に治ってくると考えてよいのですね。

上條

そうですね。

山内

ただ、この場合、閉じこもった部屋のようなので一酸化炭素中毒も少し心配かなと思いますが、いかがですか。

上條

密閉度の強いところでこういった炭化水素を燃焼させることによって、不完全燃焼から一酸化炭素の発生というのは起こりうると思います。ただ、一酸化炭素中毒の場合、真っ先に出てくる症状は頭痛です。初期症状は頭痛、めまい、嘔気とよく言われますが、その3大症状を我々はアラーミングサインといいます。

要するに、一酸化炭素が生じるリスクのある場所で起こる症状は、まず何よりも頭痛なのです。頭痛とか嘔気、めまいを感じたら一酸化炭素中毒の可能性があるからすぐ換気せよとか、そこの場所から避難せよと。そう考えるのですけれども、ふらつきやめまいぐらいでは一酸化炭素中毒を疑うのには、少し弱いかなという感じがしました。

山内

治療としては酸素吸入も大事と考えてよいですか。

上條

そうですね。一酸化炭素中毒の場合は効率よく体から一酸化炭素を排泄するのは酸素投与です。なるべく高濃度、高流量の酸素を投与して、早く体から一酸化炭素を追い出してあげる。そういう治療になると思います。

山内

ありがとうございました。