池田
トコジラミの質問が来ており、第一人者の夏秋先生にお話をうかがいたいと思います。
はじめに、トコジラミというのはどのようなものなのでしょうか。
夏秋
トコジラミというと、「シラミ」とついているので、アタマジラミとかケジラミのようなシラミの仲間かと思われる方もおられるかと思います。俗に南京虫とも言われていますが、カメムシの仲間で、我々の皮膚から血を吸って生きている吸血性昆虫です。
池田
吸血というと、人に特化して暮らしているということなのでしょうか。
夏秋
トコジラミは人だけではなくてほかの動物からも血を吸うことができるのですが、実際に日常の診療で問題になっているのは、やはり人から吸血しているということです。「ペットから吸血することがありますか」という質問もよく頂戴します。できないわけではないですが、毛深い動物は吸血しにくいですので、やはり人を一番好んでいるようですね。
池田
ある程度人に特化しているということで、要するに、人の近くに住んでいて、条件が整うと吸血に来るということですよね。
夏秋
はい。トコジラミは、我々が生活している部屋の中に生息している室内害虫になります。室内に生息しながら、夜になると寝ている人から吸血しに出てくる。昼間は、柱とか壁の割れ目、調度品の隙間、あるいはベッドのフレームの隙間などの部屋の隙間構造に潜んでいて、いるのがなかなかわからないぐらいの潜み方をしているのですが、夜になると出てきて、人から血を吸う。そういう生活をしている虫です。
池田
カメムシの仲間とうかがいましたが、一年中、活発に動いているのでしょうか。
夏秋
温度が20~25度を超えると活発に活動しますが、それより温度が下がると活動が鈍って、特に日本の場合、冬は寒いですから、だいたい11~12月ぐらいから翌年の3~4月ぐらいまでは冬眠に近い休眠状態になっています。
ただし、ホテルや旅館などの宿泊施設の場合は、冬場でも暖房が効いていて暖かい環境が維持されていますので、そういう環境下では冬場であっても活動が続いています。
池田
私が思い出すのは、日本も第二次世界大戦後、DDTなどを使って駆除したことです。そのときはすごく流行っていたわけですが、それがいったん消えて、また世界的に拡散しているというのは何か理由があるのでしょうか。
夏秋
もともと戦前・戦後の混乱の時期に世界中の各地で流行っていたのですね。ところが戦後、DDTや有機リン剤など強力な殺虫剤が使われるようになって、世界的にも撲滅に近いぐらい激減をしていた時期があります。特にピレスロイド系といわれる殺虫剤もよく使われるようになって、撲滅に近い状態は続いていたのですが、2000年を過ぎて、少しずつ世界中で増え始めています。
これはなぜかというと、強力で有毒な殺虫剤はなるべく使わないでおこうということで、世界的にDDTや有機リン系の殺虫剤が使用禁止にされていきました。一方で、よく使われていた安全性の高いピレスロイド系殺虫剤に対して、抵抗性の遺伝子を持ったトコジラミが出始めた。突然変異で出たのでしょうけれども、これがどこから発生したかわかりませんが、いったん出てきますと、殺虫剤を噴霧しても死なないということで、ピレスロイド系殺虫剤への抵抗性を獲得したトコジラミがどんどん生き残っていって、これが次第に世界中に拡散していったという現状ですね。
池田
なるほど。拡散する様式というのでしょうか。どのような感じで広がっていくのでしょうか。
夏秋
トコジラミは羽を持たない、飛ばない虫ですので、移動するためには必ず人が運ぶ、人や荷物と一緒に動いていることになりますから、結局は人が旅行やビジネスあるいは引っ越しなどで移動するときに、そのカバンや書類、荷物にくっついて一緒に移動していくということになります。
特に2003年以降、日本が観光立国ということで、多くの海外からの旅行者、いわゆるインバウンドを受け入れるという政策が活発化したことで、海外から多くの方々が来られるようになりました。おそらく海外で繁殖していたトコジラミが人流とともに国内に持ち込まれて、国内でも繁殖していったということだと思います。
池田
トコジラミに刺された症状というのは、何か特徴的なものがあるのでしょうか。
夏秋
トコジラミは吸血性昆虫ですので、吸血するとき、口器を皮膚に突き刺しますが、そのときに唾液腺物質を皮膚に注入します。
つまり異物である唾液腺物質を注入されますから、我々の体とすると、それに対するアレルギー反応が起こります。注入された異物に対する感作が成立してから、皮膚症状として、痒みや赤みが出始めます。
最初に刺されたときは感作が成立していませんから、全然症状が出ない無症状の時期がしばらくあるのですが、何度か刺されていると、唾液腺物質に対する遅延型アレルギーとして、刺されて2~3日目ぐらいに痒みや赤みが出てくるようになってきます。
さらに、刺され続けているうちに即時型反応といって、刺されてすぐに痒くなって膨疹が出るようになります。さらに刺され続けていると、これらの反応がだんだん減弱していって、最終的にはいくら刺されても反応が出ないというように、どんどん皮膚の反応が変わっていきます。その方が過去に刺された経験があるかないか、その後どれだけ刺され続けているかによって、実は症状にはかなりの個人差があります。
池田
それでは、患者さんの一時期の臨床症状だけではなかなかトコジラミに刺されたかどうかはわかりづらいですね。
夏秋
そうですね。刺され始めたときはすごく腫れていた方でも、「最近は、刺されているんだけど腫れないんだ」とおっしゃる方がいますので、同じ人でもトコジラミに刺されてどれぐらい時間が経っていて、どれぐらいの頻度で刺されているかによって皮膚の症状が変化していくということになります。
池田
ちなみに、口器で刺されても、それ自体で痛みを感じることはないのでしょうか。
夏秋
そうですね。蚊でもそうなのですが、口器を刺したときにチクッと痛いのかなと思われるかもしれませんが、実は我々は刺されても全く気がつきません。ですから、夜中に刺しに来るのですが、血を吸われていることに誰も全く気がつかないですね。
池田
それではよけいに診断が難しいと思いますが、実際に、トコジラミ刺症の診断というのは、どのようにされるのでしょうか。
夏秋
一個一個の皮膚症状はトコジラミ刺症でもほかの虫刺されでもあまり変わらず、痒みを伴う赤い丘疹というかたちになることが多いのですが、皮膚症状の並び方に特徴があります。私自身がトコジラミに刺される実験をした結果でわかったことなのですが、口器で血を吸うときに途中で1回抜いて刺し直しをするという「刺し変え行動」がたびたび見られます。
最初に口器を刺して、最後、満腹するまでずっと刺し続ける個体もあるのですが、2回、3回と刺し直しをすることがあるのです。そうしますと、刺し変えるたびに唾液腺物質が注入されますから、臨床的にはある狭い範囲に2~3個あるいは4~5個ぐらいの丘疹が不規則に並ぶ。そういう臨床的特徴があるので、慣れてくると、この臨床を診たら、「あ、これはトコジラミかもしれないな」ということに気づくのです。
あと、トコジラミの特徴として、寝ているときに露出している場所から血を吸いますので、肌が露出している場所に妙に不規則に並んだ皮膚症状が見られた場合には、トコジラミかもしれないと疑う必要があります。
次に、本当にその皮膚症状がトコジラミかどうかはなかなかわからなくて、結局トコジラミがいることを証明しなければなりません。出張先のホテルなどの場合はなかなかできないですが、家でトコジラミが繁殖して刺されている場合は、私が嘘寝(うそね)作戦と呼んでいるやり方があります。これは室内にトコジラミが生息していて毎日刺されているかもしれないという部屋で寝るときに、いったん照明を消して横になって寝たふりをしていただきます。約30分経ったところでパッと照明をつけると、もしその部屋にトコジラミが繁殖しているとすると、だいたい照明を消して30分待っている間にトコジラミがわさわさと出てきて、そこら中を這い回っているとか、すでに吸血を始めているとか、そういうトコジラミを見つけることができます。その作戦で1匹でも見つけたら、この部屋にトコジラミがいるということがわかります。このように吸血の現場を確認することで、トコジラミがいることが確定して診断が付くことになります。
池田
ちょっと勇気がいる感じですね。
夏秋
そうですよね。でも確定しないと、なかなかトコジラミかどうかはわからないのです。
池田
診断が付いた場合、治療は特別なものがあるのでしょうか。
夏秋
トコジラミ刺症に特別な治療はなくて、普通の虫刺されと同じで、ステロイドホルモンの入った塗り薬を使います。痒みが強ければ抗ヒスタミン薬を併用する。そういうごく一般的な虫刺症の治療でけっこうです。
池田
そこでやっぱり気になるところは、トコジラミが見つかってこれを何とか駆除したいということになるのですが、一般家庭でできることと専門業者で行わなければいけないことがあると思います。それぞれどのようにされるのでしょうか。
夏秋
トコジラミの駆除が実はたいへんです。宿泊施設の場合はそれぞれ専門業者がついているので、プロの駆除業者さんに駆除をお願いすることができるのですが、一般家庭ではそうもいきません。今世界中で広がっているトコジラミのほとんどが、ピレスロイド系殺虫剤に対する抵抗性を獲得しています。となると、一般的な殺虫スプレーや燻煙剤ではなかなか駆除できません。
そこで幾つかのメーカーが出している殺虫剤抵抗性トコジラミに効くといわれている殺虫剤の配合された薬を購入していただいて各家庭でお使いいただくしかないと思います。
池田
もう一つの問題として、トコジラミを繁殖あるいは移動させないことが重要になると思いますが、何か方策はありますか。
夏秋
トコジラミの被害を受けないためには、とにかく自宅に持ち帰らないことが一番大事です。今、世界中どこでも、どんなにいいホテルや旅館であっても、宿泊施設の中にトコジラミがいる可能性は常にゼロではないと考えなければいけません。そう考えますと、ホテルや旅館に泊まるときに、まず荷物に紛れ込ませないことが大事です。
そのためにはトコジラミが生息する場所としてベッド周りが一番多いので、部屋に持ち込んだ荷物類を夜にベッド周りに置かないということですね。できれば入り口付近に並べておく。あるいは、洗面所に荷物類を置いて、夜はそこの照明をつけておくのもいいです。もっと徹底したければ、大きなゴミ袋を持っていって、荷物類や衣類を部屋の中に散らかさずに、そのゴミ袋に入れて入り口付近に置いておく。
こうすれば万が一夜中にトコジラミが出てきたとしても、荷物なり衣類なりに紛れ込ませることなく済みます。これが我々がトコジラミを移動させない一番大切な方法だと思います。
池田
ちょっとした工夫で何とか防げるということですね。最後にちょっと気になるのが、トコジラミが媒介するような感染症はあるのでしょうか。
夏秋
トコジラミはウイルスや細菌などの感染症の媒介を一切しないといわれています。トコジラミに刺されたとしても、それで何か怖い病気が起こる心配は全くありません。単純に痒い虫刺されという、それだけで済みますので、今のところその辺は全く心配いりません。
池田
少し安心しました。
夏秋
刺されたからといって恐れる必要はありません。とにかくトコジラミを宿泊施設の外に持ち出さない、あるいはそれを自宅に持ち込まない。これが一番大事だと思います。
池田
どうもありがとうございました。